『ゆっくり学ぶ』P062-063,原文和译文如下
【日文】
読書は著者との対話です。本に書かれている言葉の意味を理解するだけでは十分ではありません。道を教えられてその言葉を理解するだけでは実際に自分が行きたいところへ行けるとは限らないのです。読書においても著者から読者への知の飛び火が必要です。
無知の知
ソクラテスは無知の知、無知の自覚という言い方をします。何かを学ぶことは無知の状態から脱することだと考え、無知から脱する努力をしてきたであろうソクラテスが自分は何も知らないといっているのを読むと、驚いたり困惑したりする人がいるかもしれません。
ソクラテスは知恵があると思われている人のところへ行って次のように考えました。
「私はその人よりも知恵がある。なぜなら、私たちのどちらも善美の事柄は何も知らないだが、この人は知らないのに知っていると思っているが、私は事実たしかに知らないのだから知らないと思っている。だから、このちょっとしたことで、つまり知らないことは知らないと思っているという点で、私の方が知恵があるようだ」
ソクラテスは無知に居直っているわけではありません。何も知らないことを逆手にとって、知者と呼ばれている人よりも優位に立とうとしているのではないのです。
【译文】
阅读是与作者的对话。仅仅理解书中的内容含义远远不够。能理解他人指路的话语,不代表能走到想去的地方。在阅读中,需要作者与读者之间的知识转移和交流。
无知之明
苏格拉底谈论过"无知之明"的概念,认为学习就是从无知状态脱离出来的过程。有人可能会对这位被认为很有智慧的苏格拉底说自己什么也不知道感到惊讶和困惑。
苏格拉底曾经拜访过被人们看作是智者的人,然后他想:
"我比那人更有智慧,我们双方都不懂什么是善和美,但是他什么也不懂,却自认为懂,而我则知道自己一无所知。只是这一点的区别,承认自己一无所知,就让我比他更有智慧。"
苏格拉底并不是在故作无知。他并不是借助什么都不知道这一点来试图凌驾于那些被称为智者的人之上。