#188 学ぶと何が起こるのか9

#188 学ぶと何が起こるのか9

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『ゆっくり学ぶ』P065,原文和译文如下

【日文】

学ぶことは想起すること

目の前に広がる光景を見た時、また、咲き誇る花を見てそれが美しいと思う時に、哲学の言葉では「判別」という言葉を使います。この判別はあらゆる人にとって、あるいは、あらゆる場合に一定不変ではありません。

私が美しいと判別するものを他の人はそうは判別しないことがありますし、自分についても、かつては少しも美しいと思わなかったのに、今は美しいと感じられるということがあります。

また、ベートーベンやブラームスの音楽は美しいという人でも、現代音楽は聴いても心地よくなく、少しも美しいとは思えないかもしれませんし、若い頃は美しいと思わなかった音楽が今では美しいと思えることもあります。

若い時にはクラシック音楽を聴こうともしなかった人が歳を重ねて好きになるということもあります。絵画についても同じことがいえます。

なぜ初めて見た景色を美しいと判別できるのか。過去に見たあれやこれやの景色と比べて美しいと判別するからではありません。なぜなら、もしもそうであれば、初めて見る景色に心を動かされたり、初めて会った人に目を奪われ、さらには心を奪われ、恋に落ちたりするということの説明がつかないからです。

【译文】

学习即回忆

学习本质上是指,当我们看到眼前的景象,或者看到盛开的花朵并觉得它们美丽时,用哲学的术语来说,这叫做“辨别”。这种辨别对于每个人,或者在任何情况下,并不总是固定不变的。

我认为美的东西,别人可能并不认为美;即使对自己来说,过去并不觉得美的东西,现在却觉得美了。

例如,即便有人认为贝多芬或勃拉姆斯的音乐是美的,但听到现代音乐时却可能觉得不舒服,觉得一点也不美;而曾经年轻时不觉得美的音乐,现在却觉得美了。

有些人在年轻时不愿意听古典音乐,但随着年龄的增长,开始喜欢上它。绘画也是一样的道理。

为什么我们能辨别出第一次见到的景色是美的呢?并不是因为我们将其与过去见过的景色进行比较,而得出它是美的。因为如果真是那样,我们就无法解释为什么初次见到的景色会让我们心动,或为什么初次见到的人会让我们目眩神迷,甚至心动,坠入爱河。