#189 学ぶと何が起こるのか10

#189 学ぶと何が起こるのか10

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『ゆっくり学ぶ』P066-067,原文和译文如下

【日文】

何かを見てそれを美しいと判別し、「きれい」といえるためには、この判別の中に先験的としかいえない何かが働いていなければなりません。何かを見て「きれい」といわせる究極の根拠、それを理想や規範、基準として判別する何か、これをプラトンは「イデア」と呼びました。

プラトンは、何かを見て「きれい」という時、そういわせる根拠として美のイデアを考えました。それは何かを見て、それが美しいと判別する時に理想、規範、基準として働いています。

プラトンは学ぶことは想起であるといっています。美を例にすれば、この世界で見る美しいものを通じて美のイデアを想起するのです。そうすることで、この世界でのいろいろなものにイデアの面影を認め、イデアをある程度は想起することができるようになります。

しかし、イデアの認識を深めれば深めるほど、地上のいかなるものとも混同しなくなります。先に見たソクラテスの無知の自覚に引きつけていえば、知っていると思っている人はこの世のものをイデアと思い間違っているのです。

イデアを完全に知ることはできませんが、少しでもそれに近づくことはできますし、自分が知らないといえるための前提である完全な知はこのイデアを知っているということです。イデアをまったく知らないのではありませんが、忘れてしまっているのです。学ぶことはこのイデアを想起するということです。

【译文】

为了能够看到某物并判断它是美的,并说出“漂亮”,在这个判断过程中必须有某种先验的因素起作用。让我们能够看到某物并作为判断其“漂亮”的最终依据,作为理想、规范和标准进行判断的某种东西,柏拉图称之为“理念”。

柏拉图认为,当我们看到某物并称其为“漂亮”时,是因为有一个美的理念作为依据。这种理念在我们看到某物并判断其美丽时,作为理想、规范和标准在起作用。

柏拉图说,学习实际上是回忆。以美为例,通过这个世界上看到的美丽事物,我们会回忆起美的理念。通过这种方式,我们能够在这个世界上的各种事物中认出理念的影子,并在一定程度上回忆起理念。

然而,随着对理念的认知越来越深入,我们就越不会将其与地上的任何事物混淆。联系到先前提到的苏格拉底的无知自觉,那些自以为知道的人其实是把这个世界的事物误认为是理念。

虽然我们无法完全了解理念,但我们可以逐渐接近它。而能够说出自己不知道的前提是,存在对该理念的完全了解。我们并不是完全不知道理念,而是遗忘了它。学习就是回忆这个理念的过程。