『ゆっくり学ぶ』P069-070,原文和译文如下
【日文】
このような判断ができるためには、個別的な知識があるだけでは十分ではありません。
この時はこうしたという経験にもとづいた知識がどれほどあっても、その知識によってうまくいくことがあっても、これは先に見た「正しい思わく」でしかなく「知識」ではありません。個々のケースで「たまたま」ではなく正しい判断ができるためには、個別の現象の根底にあるロゴスを見る必要があります。
このような行動にもとづいての善悪の判断から始めて、さらにどのように生きるべきかを考えなければなりません。それが「学ぶ」ということです。
真実を明らかにする
プラトンは、感覚的事実の中での探求とロゴス(言葉、理論)の中での探求を対比しています。
「事物の考察に失敗した後で私は思った。日食の際、太陽を観察し研究する人たちと、同じょうな目に遭わないように気をつけなければならない、と。そういう場合、人は水やその他それに類するものに太陽の姿を映して見るようにしなければ、往々にして目を損ねるからである。何かそれと同じようなことを僕は考えたのだ。即ち、事物を肉眼で直視したり、それぞれの感覚で直接捉えようとすると、精神(魂)がすっかり旨になってしまうのではないか、と恐れたのである。そこで僕は、〔直接見るのではなく〕ロゴス(言葉、理論)に逃れて、事物をその中で考察しなければならないと考えた。
【译文】
这样的判断并非单纯基于个别知识就足够了。即便我们拥有丰富的经验知识,并能在某些情况下取得成功,但这仅仅是"正确的直觉"而非真正的"知识"。要能在各种具体情况下做出正确判断,而非仅凭"偶然",我们需要深入了解事物背后的本质规律 - 即所谓的"理性"(logos)。
从对行为善恶的判断开始,我们还需要进一步思考如何应该生活。这就是所谓的"学习"。
揭示真相
柏拉图对感性事实的探索和理性(logos)的探索进行了对比:
"在观察日食时,我意识到,我们必须小心谨慎,不要像那些观察太阳的人一样伤害自己的眼睛。因为他们通常会用水或其他东西映照太阳的影像,而不是直视太阳。我产生了类似的担忧,即直接用肉眼观察事物,或凭感官直接把握事物,可能会损害我们的心灵(灵魂)。因此,我认为我们必须逃离直接观察,而是通过理性(logos)来思考事物。"