#196 学ぶと何が起こるのか17

#196 学ぶと何が起こるのか17

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『ゆっくり学ぶ』P075-076,原文和译文如下

【日文】

何かを学んでいる時、モチベーションを維持できないという人がいます。結果を出せば学びは終わりますが、目的が達成できればモチベーションもなくなるのは当然です。

それでは、モチベーションを維持するためにはどうすればいいか。次の目的を設定すればいいのです。至極単純なことです。

しかし、話はそれほど単純ではありません。次の目的を設定できない、あるいは、しないということがあるからです。そうなると、そこで学びは終わってしまいます。ある目的のために勉強や仕事をしていた人はその目的を達成できなかったら、そこで学ぶ意欲を失ってしまうこともあります。

問題は、アリストテレスが学ぶことをキーネーシスだと考えているところにあります。

むしろ、学ぶことをエネルゲイアと考えてもいいのではないでしょうか。つまり、「学びつつあるとともに学んでしまっている」と考えていいということです。たしかに、学んでいるその時に直ちに学べるわけではありませんが、何かを覚えたり、何か結果を出したりするために学ぶのでなくてもいいということです。学べば結果が出るかもしれませんが、結果を出すという目的が学ぶことの「外」にあるのではなく、学ぶことの「内」にある、つまり、学ぶこと自体が目的だと考えればいいのです。

結果を出すための仕事や勉強はあります。しかし、キーネーシスとしての学びであっても、学んでいる時に絶えず目的を意識する必要はなく、学ぶことを楽しんではいけない理由はありません。このような学びであれば、そのために学ぶ目的に到達しても終わりはありません。

【译文】

有些人在学习时无法保持动力。当取得成果时,学习就结束了,但当目标达成时,失去动力也是理所当然的。

那么,如何才能保持动力呢?答案是设定下一个目标。这是很简单的事情。

然而,事情并不那么简单。因为有时候我们无法设定下一个目标,或者根本不去设定。这种情况下,学习就会终止。那些为了特定目标而学习或工作的,如果没有实现那个目标,可能会失去学习的意愿。

问题在于,亚里士多德认为学习是一个过程(kinesis)。但实际上,我们也可以把学习看作是一种活动(energeia)。也就是说,可以认为“在学习的同时已经学到了”。确实,在学习的当下并不能立刻学会某些东西,但学习不一定是为了记住什么或取得什么成果。虽然学习可能会带来成果,但这个成果的目标不在学习的“外部”,而在学习的“内部”,也就是说,把学习本身作为目标就可以了。

当然,有些工作或学习是为了取得成果而进行的。但即使是把学习看作一个过程(kinesis),在学习的过程中也不需要时刻意识到目标,也没有理由不能享受学习。如果以这种方式学习,即使达到了学习的目标,也不会有终点。