#200 学ぶと何が起こるのか21

#200 学ぶと何が起こるのか21

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答えのない問いを考える

さらに、世の中には答えのない問いがあることを学ぶことができます。

私は小学生の頃、祖父、祖母、弟を次々に亡くし、人生には死というものがあることを知りました。

今はこんなふうに考えたり、感じたりしているのに、そのすべてが無になる。これほど怖いことはないと思ったのに、大人たちは死のことを何も考えていないように見えました。死ねば自分が無になるかもしれないというのに、死のことをまったく考えないでどうして笑って生きていられるのだろうか。私には不可解でした。

それなのに、私にとって一番の関心事だった死について親にたずねた記憶がないのです。

たずねたけれども答えてもらえなかったのではなく、あるいは、たずねたのに答えをはぐらかされたのでもなく、死については初めから親にたずねてはいけないと考えたのかもしれまん。

私は死について考え始めるとすべてが空しくなってしまい、長く鬱々としていました。そのことに親が気づかなかったとは考えられないのですが、どれくらいこの状態が続いたか、また、どのようにしてその状態から抜け出したかは覚えていません。死について考えなければ、無邪気に子ども時代を生きられたかもしれませんが、死というものがあることを知って思い煩った経験が哲学を学ぶ一つのきっかけになったのは間違いありません。

思考没有答案的问题

此外,我们可以学到,世上有些问题是没有答案的。

我在小学的时候,先后失去了祖父、祖母和弟弟,意识到人生中有死亡这回事。虽然现在我会这样思考和感受,但所有这些最终都会变成虚无。我曾经认为这是最可怕的事情,但大人们似乎对死亡毫不在意。尽管死后自己可能会变成虚无,他们却完全不考虑死亡,怎么还能笑着生活呢?对我来说,这是无法理解的。

即便如此,我却没有记得曾向父母询问过关于我最关心的死亡问题。不是因为我问了但没得到答案,也不是因为我问了但被搪塞了答案,而可能是我从一开始就认为不能向父母询问关于死亡的事情。

每当我开始思考死亡,一切都变得空虚,我长时间陷入郁郁寡欢的状态。我无法想象父母没有察觉到这一点,但我不记得这种状态持续了多久,也不记得是如何摆脱这种状态的。如果不思考死亡,或许我能无忧无虑地度过童年,但正是因为知道了死亡这回事并为此烦恼,这种经历无疑成了我学习哲学的契机之一。