附上演讲全文及我们翻的译文,做成中日对照的形式,供大家练习听力、口译。
- 原文:桃濑康平
- 译文:日语翻译社
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演讲全文&译文如下:
はじめまして、立教大学法学部4年生の桃瀬康平です。まず僕がどんな人間かをお伝えするために簡単に自己紹介をします。
大家好,我是立教大学法律系的大四学生桃濑康平。首先简单介绍一下我自己。
生まれは埼玉で、高校入学のタイミングで北海道に引っ越しました。高校卒業後、浪人をして1年間必死に勉強をして、偏差値を25上げてここに入学しました。入学後ボランティアサークルに入り、途上国に家を建てる活動に3度参加しました。3度目はリーダーを務めました。活動には約25万円かかるのですが、居酒屋でアルバイトをして活動費を自分で稼いでいました。コロナ禍では人生で初めて小説を書いてコンクールに応募しました。そしたら入賞することができました。そして今学生生活の締めくくりとして、ここに登壇させてもらっています。
我出生在埼玉县,临上高中前搬到了北海道。高中毕业后复读了一年,在这一年里我拼命学习,把偏差值提高了25 最终考进了这里。进入大学后我加入了志愿者小组,参加了3次去发展中国家建造房屋的活动,并在第3次活动中担任了队长。参与活动需要花费25万日元(约合1.2万人民币),这些费用是我自己在小酒馆打工赚的。在疫情期间 我第一次尝试写小说还向大赛投了稿,最终我写的小说获奖了。而现在作为大学生活的总结,我站到了讲台上。
突然ですが、皆さんは自分のことを特別な存在だと自覚できていますか。特別とは他と違うことです。また人はみんなそれぞれ全く違います。つまりどんな個人も特別な存在のはずなんです。ですがそんなに単純には自分のことを特別だとは自覚できません。
想问一下大家,你们能认识到自己是特别的吗?特别就是与他人不同。人和人是完全不一样的,也就是说不论是谁都是特别的。但是认识到自己的特殊性并非易事。
若者の自己肯定感の低下なんて言葉を聞くようにもなりました。自分が他と違う存在であることを自覚すればいいだけなのに、どうも自分を特別だとは思えない。自分が何者かわからない。自分が何者でもないことが辛い。漠然と特別な誰かになりたい。こんな苦しみを抱いたことがある人もしくは抱いている人いませんか。 このような苦しみがなぜ生まれてしまうのでしょうか。僕は僕たちが生きている時代そしてその価値観に原因の一つがあると思います。
现在常听到“年轻人自我肯定感下降”这样的话,要是能认识到自己与他人是不同的就好了,但很难做到。不知道自己是谁、痛苦于自己的籍籍无名、很模糊地想要成为一个特别的人。有没有人感受过这种苦恼,或者正在经受着煎熬。为什么会产生这样的苦恼呢?有一个原因在于我们生活的时代及其价值观。
今の時代の価値観として広く共有されているのは多様性の尊重です。例えば女は女らしく家事をしろ男は男らしく働け。こういったらしさの押し付けはもう古い価値観です。これからはその人らしさを尊重する時代です。また多様性が尊重される価値観の中では、様々な生き方が肯定されます。以前までは競争に勝っていい大学に行っていい会社に勤めてというのが幸せの価値観としてありましたが、今の時代は幸せの形は人それぞれ。競争に勝つことが幸せとは限らない。そういう価値観が広まっています。
在当今的时代,尊重多样性是一种被广泛接受的价值观。女性就应该像个女的做家务,男性就应该像个男的赚钱养家,这种将群体特性强加于个人的价值观已经过时了。今后的时代将是尊重个性的时代。在尊重多样性的价值观里,不同的生活方法也能得到肯定。从竞争中胜出,考上好的大学,然后进入好的公司工作。拿以前的价值观来看,这就是幸福。但在当今的时代 幸福因人而异。赢得竞争未必就是幸福,当下流行的是这种价值观。
その人の生き方はその人が決めるべきですし、その人の選んだ生き方が尊重されることはとても素晴らしいことです。ですが、この価値観は素晴らしいとしても、この多様性の尊重が今の時代特有の新たな苦しみを生んでいると僕は思います。らしさの押し付けや競争は生きづらさを生みますが、少し視点を変えれば、自分の役割や立ち位置を示してくれるものでもありました。これらがあったかつての世代は、世界がある程度自分のことを定義してくれる、そんな時代だったと言えると思います。その反面その人らしさが尊重される現代は、自分が何者であるかを自分で定義しなければいけない時代。そんな時代であると言えるのではないでしょうか。
每个人的活法应该由本人决定,每个人所选择的活法也能够得到尊重。这是多么好的事情呀!但是这么优秀的价值观,这种尊重多样性的价值观,也给人们带来了当下时代所特有的新苦恼。虽然强加群体特性和竞争的价值观会给生活带去痛苦,但是如果稍微改变一下视角就会发现,它也能明确我们的价值和位置。在那个时代,拥有这样价值观的老一辈,在某种程度上是由世界定义自己的。相反地,在尊重个性的现代,必须自己定义自己,我们可以这么说吧。
そんな現代はみんな違ってみんないいんだという素晴らしい価値観を共有しつつあるはずなのですが、そこには常にあなたはどう違ってどう良いのか、あなたは何者なのか、あなたはどう特別なのか、そう問われているようなそんな苦しみがあります。そんな中で特別な存在として輝いて見えるのは、このような人たちではないでしょうか。
每个人都是不同的,每种选择都会被尊重。虽然这种优秀的价值观应该会越来越普及,但是,你与别人有何不同?你在哪些方面比较出色?你是谁?你有什么特别之处?这些随之而来的问题也会时常困扰着你。在这样的价值观之下,看起来特别又耀眼的,应该是这样的人吧。
特別な才能·経験·環境·肩書きを持つ人、特別な活動をしている人、社会や他者に価値提供をしている人、人生をかけて何かに熱中している人、このような人たちはとても輝いていて特別な存在のように思えます。またそんな現代ではSNSが大きな影響力を持っていますが、SNSでは特にこのような人たちが目立ちたくさん目に入ります。そして身近な人たちもつぶやきます。起業した、ボランティアした、大会で優勝した、留学した、輝いていて特別な存在のように思える人たちがすぐ身近にもいるのだということを感じます。そうするとみんなすごいな。やはりあなたは特別なのか、あなたは何者なのか、そう問われているような苦しみが僕を襲います。僕には何もない。そういう劣等感に苛まれるんです。
拥有特殊的才能、经历、环境、头衔;从事着与众不同的工作;为社会和他人提供价值;有热爱并为其奉献一生,会觉着这样的人非常耀眼而且很特别。现在社交平台具有极大的影响力,我们能在社交平台上看到很多这样十分突出的人,而且自己身边的人也在彰显存在感。创业、做志愿者、在竞赛中取胜、留学,这些让人觉得耀眼又特别的人就在自己身边。就会觉得大家都好厉害啊。你有什么特别之处?你是谁?类似的问题向我袭来。我一无所有,这种自卑感折磨着我。
ここまで他人事のように話してきましたが、これは僕の話です。このトークは僕が僕を救うためのトークでもあるんです。突然ですが自己紹介をやり直させてください。
听起来是在说别人的事情,其实说的是我自己。今天演讲的目的也是为了拯救自己。下面请允许我重新介绍一下自己。
埼玉から北海道に引っ越しました。親の転勤が理由での引っ越しで、地元の埼玉を離れるのが本当に嫌で、最悪な運命だと思っていて中学の卒業式では大泣きしてしまいました。ですが今振り返ると最高な運命でした。高校で優しい友人たちに囲まれたことで、優しい人間になりたいという僕の人生の軸が決まりました。
我从琦玉搬到北海道。因为父母工作调动,我不得不离开家乡琦玉。这让我很不开心,我觉得自己的命运极其悲惨,所以在初中的毕业典礼上嚎啕大哭。但是现在再回头看,我觉得那是命运最好的安排,在北海道的高中,我交了很多温暖的朋友。这也让做一个温暖的人成了我毕生的追求。
浪人して偏差値を25上げました。受験勉強を頑張ろうと思ったのは劣等感からでした。運動が苦手で、絵が苦手で、歌を歌うのも苦手で、何をやっても人より少し劣っていて、何の才能もない そんな自分がずっとずっと嫌でした。結果を残したこともなかったので、肩書きが欲しい、結果が欲しいとその一心で受験勉強を始めました。晴れて第一志望のここに入学できたわけなんですが、立教生であるとか 偏差値を上げた といった肩書きや成果よりも、こんな僕でも1年間頑張ることができたんだというその事実の方がよっぽど僕が僕を受け入れる理由になっていました。
通过复读将偏差值提高了25。我是因为自卑才努力备考的,运动不行、画画不行、唱歌也不行,不论做什么都比别人差一点,也没有任何才华,我一直讨厌这样的自己。没有任何成绩。我想要头衔,想要成绩,所以开始专心备考,最终顺利地以第一志愿考进了这里。立教大学的学生、提高了偏差值、比起这些头衔和成绩,像我这样的人努力一年也能做到这个事实更加让我接受了自己。
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