日本设计大师、MUJI艺术总监原研哉 | 日语TED演讲 | 设计的奥义:保持对新鲜世界的感知力(下)日语翻译社

日本设计大师、MUJI艺术总监原研哉 | 日语TED演讲 | 设计的奥义:保持对新鲜世界的感知力(下)

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附上演讲全文及我们翻的译文,做成中日对照的形式,供大家练习听力、口译。

  • 原文:原研哉
  • 译文:日语翻译社

※超出字数,分上下期啦,上半部分请听上篇。

※如需中日对照电子版:请移步公众号「日语翻译社」后台,回复「原研哉」即可获取。

双语字幕视频版

演讲全文&译文如下:

それから、面出薫という照明デザイナー。これは照明器具のデザイナーではなくて、環境の光と闇を設計するようなデザイナーですけども、彼にマッチをリデザインしてもらうと、こんなものを作ってくれました。これは木の枝が地面に落ちて地球に還る、土に還るひとつ前に、もうひと仕事してもらおうとかいう考え方だったと思います。記念日のためのマッチということなんですけども、こんなようなものを人間が掌の中に生の火を持つというのは非常に厳かな瞬間なんですけども、そういうところを演出するために、こんなものがあると素敵かもしれませんね。バースデーケーキやウェディングケーキのろうそくに火を灯す時に、こんなものを使うとどうでしょうか。そんなことを考えると、ちょっとデザインのフィールドも少し広がっていくような気がしませんか。

我还邀请了照明设计师面出薰。他不是设计照明用具的,而是是设计环境灯光的。我邀请他重新设计火柴,这是他的作品。他设计的理念可能是在树枝落到地面,回归大地化为泥土之前,让它再为我们做件事情。这是纪念日用的火柴。人类把火放在手掌上托着,是非常庄严的时刻,而这种火柴的设计将有助于将其更好地呈现出来。给生日蛋糕和结婚蛋糕点蜡烛的时候,使用这种火柴怎么样?你有没有觉得这样的思考让设计的领域变得宽阔了一些?

それからこの展覧会の少し前に、こんな展覧会も作りました。「建築家たちのマカロニ展」という展覧会なんですけども、これはマカロニというものをそうそうたる建築家にデザインをやり直してもらうということなんですけども、この建築家はこのマカロニの柔らかい部分とちょっと歯ごたえのある部分を設計し分けるというふうなことを意図してますね。

在这场展览会稍前的时候,我还策划了另一场展览,叫“建筑家们的通心粉展”。这个展览是让杰出的建筑家们重新设计通心粉的形状。这位建筑家的设计意图是把通心粉的柔软部分和有嚼劲的部分分离开来。

それからこの建築家は少し建築家っぽいというか、非常にキュービックな不思議な形をしたマカロニを作ってくれました。それからこの建築家はパンチマカロニというんですけども、マカロニにパンチングカードのような穴をあけて、そこにソースが染み込みやすくするような、そんな工夫をしたわけですね。これは手びねり、お母さんの味。そしてこれは「おっとっこ」という名前が付いてますが、この口のところからしゅーっと水蒸気が出たりすると、なかなかかわいいかもしれませんね。

这位建筑家的设计就有那么一点建筑家的味道了,是一个非常不可思议的立方体。这位建筑家的作品叫穿孔卡片通心粉,在通心粉上设计了很多类似穿孔卡片上的孔,这样更容易入味。这个作品是手工陶艺,母亲的味道。这个作品的名字叫《樱桃》,要是水蒸气从口里冒出来会很可爱吧!

マカロニというのは皆さんご存じのとおり、球体だと煮て食べる時に芯ができてしまいますから、均一に煮やすくするために厚みが一定じゃなきゃいけないわけですね。同時に、これはソースの乗り物ですから、ソースが付着しやすいように面積がたくさんなきゃいけない。さらに 工業製品だから作りやすくなきゃいけませんし。毎日食べるものですから見飽きない形じゃなきゃいけない。

正如大家所知道的那样,通心粉如果是球体,煮着吃的时候芯就熟不了,所以为了能煮得均匀,厚度得是固定的。同时,因为还要伴着酱吃,所以需要保有大量的面积让酱汁容易吸附。此外,作为工业制品还要考虑生产的难易程度。因为每天都要吃,所以还得设计成让人看不腻的形状。

そういう意味では、毎日見慣れているこういうマカロニというのは、非常にたくさんの粉体からつくられるものですから、どんな可能性もあり得るわけですけども、あらゆる形から生き残ったデザインの強者、デザインのウイナーなんですね。そんなことを考えると非常に世界がちょっと面白く見えてくるんじゃないでしょうか。

从这个意义上来讲,我们现在常见的通心粉,通心粉是用很多粉末制作而成的,所以蕴藏着无限的可塑性。我们现在常见的通心粉是设计中的强者,从各种形状的竞争中生存了下来。考虑到这些事情,你们是不是觉得世界变得稍微有趣了些呢?

僕は武蔵野美術大学という所でデザインを教えているんですけども、学生と一緒にですね、考えていることは世界をどうやったら新鮮に見つめ直すことができるか。まるで生まれて初めて世界を見るように新鮮に物が見れたら、とても面白い世界の見立て方ができるんじゃないかと思います。

我目前在武藏野美术大学教设计,现在正和学生们一起思考如何能以新鲜的眼光重新审视这个世界。如果可以像刚出生的婴儿一般新鲜地看待事物,是不是就能找到一种有趣的方式来比喻世界呢?

これは学生と一緒にやったプロジェクトなんですけども、パンツプロジェクトと言われていてですね。ちっちゃなパンツを釘抜きの上に装着すると、釘抜きにボディーが見えてくる。フォークの中にパンツを履かせるとすごい細い足が見えてくる。洗濯バサミにもパンツを履かせると、タオルの上に座っているように可愛らしく見えてきますし、ピーマンはなんてセクシーなボディーをしてるんでしょうか。こんなことが見えてくるわけですが、こういうものを見立てというふうに言います。世界を面白く見立てるひとつの方法ですね。

这是我和学生们一起做的项目,叫“内裤计划”。给起钉器穿上小内裤,起钉器上仿佛出现了一个身体。给叉子中间的叉齿穿上内裤,就出现了两条细腿。给晾衣夹穿上内裤,就像是有个小人儿坐在毛巾上似的,非常可爱。给菜椒穿上内裤, 会发现它的身体是如此性感。你会有这些发现。我们称这种东西为比喻,这是一种趣味比喻世界的手法。

この学生たちは「正しい大根」というプロジェクトをやってみて、実際に大根の形を幾何学的につくるということに挑戦してみたわけですね。こういうふうな形のものを作ってみると、むしろ背理法的にというか、逆説的に大根って何であんな形をしてるのかということがわかってくるわけです。

这是学生们开展的“正确的萝卜”项目,挑战用几何学原理给萝卜造型。制作这样形状的萝卜,可以说是一种反证法,通过这些尝试反而明白了为什么萝卜是那种形状。

これはカモフラージュ迷彩服なんですけども、都市に溶け込む服ということで、これは新宿の迷彩服ですね。実際かなり迷彩になってますよね。これは浅草ですが、赤いアクセントが効いてますよね。そして世田谷、確かにコンクリートのところには こんな文字が書いてありますね。そして丸の内、派手な色のタクシーが足元を通り過ぎていきますね。これは迷彩服というよりも、一つの都市の批評としてとても面白い着眼点を見せていると思います。

这是迷彩服,融入城市的衣服。这是新宿的迷彩服,实际比照片上看起来更加迷彩。这是浅草的,红色是重点。还有世田谷,混凝土地面上确实写着这样的文字。这是丸之内,一辆颜色艳丽的出租车正经过身旁。与其说这些是迷彩服,不如说是对一个城市的评论,向我们展示了一个非常有趣的着眼点。

それからこれはスレスレのきわみを探すというプロジェクトなんですけども、ものの周辺に四角い形を挿入していくことで、やかんの形っていうのはこういうものであったかということが、むしろ明確にわかってくる。あるいはバドミントンの羽根ってどんな形だったかっていうことを、非常に明確に教えてくれたりします。長靴について あんまり深く考えたことはありませんけれども、こういう営みによって長靴のリアリティーというのはぐっと増してくるわけですね。これも折りたたみ式の椅子ですけども、非常に斬新なオブジェクトに見えてくるわけです。

这个项目叫探索极限。在物体四周插入方形,烧水壶就变成了这个样子,反倒更加明确了烧水壶到底是什么样的形状,也非常明确地向我们展示了羽毛球的羽毛的形状。虽然没有很深入地研究过长靴,但是通过插入一个长方体,长靴的真实感一下子得到了加强。这是折叠椅,完全变成了一个崭新的事物。

この学生は閾値っていう物事の端と端を見ていくというプロジェクトをやってくれました。タバコだとするとどこまでがタバコの太さなのかということを端から端まで検証してみた。これはイラストレーションですけどもね。どこまでがタバコの太さでしょうか、そして靴のハトメの数はどれぐらいの数が適正であるかとか、あるいはどこまでが歯ブラシと呼べるかとか、あるいはソルトシェイカーの穴の大きさはどれぐらいが適切であるかみたいなことを考えてみると、日常が面白く見えてきます。エスカレーターの1段はどれぐらいが適切か、あるいはフォークの歯はなぜ4本になったのか、あるいはバスというのはどれぐらいの長さまでが適切、合理性があるのかというようなことを半分冗談のようですけれども、こういうものを見てくると日常がより新鮮に見えてくるわけですね。

这名学生的项目是研究阈值、事物的两个极端。比如说香烟最粗的极限在哪里?对它从最细到最粗进行了验证。这是图解。香烟最粗可以到多少?鞋带孔的数量 多少个孔最合理?在什么范围内可以叫牙刷?撒盐器的孔开多大合适?考虑类似的事情,日常的生活就变得有趣起来。一层扶梯的台阶多少个合适?为什么叉子的叉齿是4根?巴士合理的长度是多少?对于是否存在合理性这个问题,虽然像是在半开玩笑,可是这让我们的日常变得新鲜起来。

この学生はですね、鳥の羽の毛羽立ちがスクープですくったばかりのアイスクリームのテクスチャに似てるということで、バイオミミクリーという生き物の形をですね、アイスクリームに見立てた作品を作ってくれましたけれども、いかがでしょうか。

这名学生觉得鸟毛呲起来的感觉像是挖球器刚挖出来的冰淇淋的质地,于是便仿照了炸毛的鸟的形象,制作了这些冰淇淋作品。你们觉得怎么样?

あるいは、この学生はですね、この軍手の黄色い線イエローラインがとてもおもしろく印象的だということで、そこからファッションをつくろうとしています。このイエローラインを靴下の上に置いてみる。あるいはセーターの上下に置いてみると、こんな感じになるわけですね。ちょっとファッションの感じがしてきますよね。それからハイソックスとか下着とか、あるいはバッグに黄色をあしらってみるとどうか。そして野球のグローブとかユニフォーム一式はどうなんだろうかという、こんな視点を持ってみると、ただの軍手の黄色いラインが全く別のものに見えてくるという。こういう風なことをやってみると、世界というのは新鮮に見えてくるわけです。

这个学生呢,觉得这幅劳保手套的黄线非常有趣,令人印象深刻,所以想要以此来进行时装设计。在袜子上加一条黄线,在毛衣的上缘和下缘加上黄线,就变成了这样,稍微展现出了时尚的气息,对吧!还有长筒袜和内衣,给包点缀上黄线,棒球手套、全套棒球服。从这个视角看,劳保手套的黄线成了一个完全不同的东西。这些尝试让世界变得新鲜起来。

いかがでしょうか。世界というのはちょっと頬杖をついただけで、違って見えてくるわけですね。ですから論理や経験則ではなく、こうだったりしてというふうに、世界を新鮮に見立てていく技術というのは、これをクリエイティビティーといいますね。そういうふうなものがロジックや経験値とまた別のインテリジェンスとして、世界を新鮮に感じ取っていくためには必要なんじゃないかと僕は思います。

你们觉得怎么样?稍微托腮思考一下,世界就会变得不一样。所以创造力不是通过逻辑和经验规律,而是尝试用新鲜的比喻手法解读世界的技术,这就是所谓的创造力。我认为它是不同于逻辑和经验值的智慧,对于新鲜地感知世界是非常必要的。

※超出字数,分上下期啦,上半部分请听上篇。

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